[文化系]脳内で雄弁に語る何か

青木玉の『小石川の家』を読む。小石川に行きたいと思って一番に思い出した本。どこで、どんな理由で知ったのかは全然覚えていないけれど、おそらく「幸田露伴の孫であり幸田文の娘が書いた本」という件が気になったのだと思う。

有名な作品をたくさん残した文筆家も人の親であり、彼らを「お父さん」や「お母さん」と呼ぶ子どもがいるのだ。そう思った途端に、まったく接点のなかった作家が突然身近な人に感じられるようになる。それが面白い。そんなすごい親を持つ子どもは一体何を思って日々を過ごすのかなと考えたりする。例えば荻原葉子しかり、有吉玉青しかり、森茉莉しかり(この人はちょっと違うかもしれない)。

小石川の家』では子どもの目から見た母と祖父の思い出と、小石川住まいの日々が美しく描かれている。ただその日々には、古き良き伝統という生ぬるいものではすまされない、由緒ある家ならではの厳しさが徹底して記される。理不尽な言葉をうまくやり過ごしつつも常に親を敬い、親を立て、家を取り仕切る母の姿。それを見て育つ中で母を慕い、母を敬い、非力ながらもなんとか力になろうとする子の心。ぶちぶちと文句を言いながらも、親子だからこそ、のつながりが文章の端々ににじみ出ている。そういう光景が、なんだかとても身近な感じがした。有名な親も子どもの前ではただの親なのだ。気づくと自分に近い部分を探しており、最後の項などは感情移入するあまり思わずじわりときてしまった。

こういった文章は絵が勝手に浮かんでくる。おそらく自分の思い出が勝手に変換され、行間を補っているのだと思う。映画ではあまり泣かないのに、文章だと一文一文に泣きそうになったりする。日本人の書く話が好きなのは、きっと脳内に映像が濃く映し出されるからだ。

青木玉『小石川の家』(amazon.co.jp)