日曜の午後

theklf2006-06-26

 楽しかったクラブが終わって目が覚めるともうお昼すぎ。一眠りするだけで一日の半分が過ぎている。もう何年も続けているクラブダイアリーをつけるとまた2時間くらい経っている。おなかが減ったのでミルクコーヒーを飲んでおやつを食べる。

 お休みに関係のない今でさえ、日曜には特別な響きがある。夕ご飯の買い物をしたり、洗濯物を取り入れたり、しないといけない作業のことを考えつつもぼんやりしたり、人の日記をつらつらと読んだりする。



 こんなふうになるなら結婚もいいものだと思える友人たちがいる。彼らが並ぶと、個々の聡明さとアングラさ、キュートさがうまく混ざって「とてもかわいらしい二人」になる。

 彼らは日記を個々でつけている。フリーペーパーを作っている人たちで、書く文章がとてもいい。私は二人の記す言葉がとても好きだ。

 不思議なもので、同じものを取り上げていても奥さんと旦那さんでは目線が微妙に違う。もちろん交差する部分もあるのだけれど。奥さんのほうがやや硬派で、旦那さんは少し親しみがある。対の言葉で言えば軟派(いい意味で)。理系と文系の違いかなあと思いながら、人の日常をちらちらと眺めさせてもらう。

 奥さんは本人の雰囲気とは少し違う、的確な批評眼と観察眼が滲み出た硬派な日記。可愛らしい書籍や内容、日常の出来事などを綴っているのに、そのクールさがすべてのベースにある。美しいものは美しく面白いものは面白い、醜悪なものは醜悪で退屈なものは退屈。女の子の素直な感覚をこんな冷静に表現できるなら怖い物なしだな、と読むたびに思う。

 旦那さんは、男の人が日常を書いたものでは数少ない好きな日記。彼がおそらく膨大に持っているはずの知識をひけらかすことなく、男の人らしい静かなトーンで淡々と、でも色のある表現で綴っている。情報に偏らず、必要以上に盛り上がらず。上品さのある「綴り」とでも言った方がいい文章。読むたびにどこかに行きたくなったり、何かを読みたくなったりする。

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 日曜の午後におやつを食べながら読む大好きな文章。ネットに繋げば素晴らしい日常の記述がすぐそこにある。同年代の著者による日常系エッセイを買う理由が見つけにくいのは、こんな素敵な友人がいるからかもしれない。