一つのことしかできない人。

昨日の夜、最初の原稿を提出して少しだけほっとし、白いごはんが食べたくなったのでごはんを炊いた。長らく出番を待ち続ける野菜がずっと気になっていたのでカレーも作ることにした。だいぶかわいそうな姿(というかネクストレベルに突入していた)になっていたのをなんとなくより分けて刻み、ツナ缶とルーで煮た。私はこういう時にあまりこだわりがないので市販のルーを使うしスパイスを入れたりもしない。でもカレーは誰が作ってもおいしいと言われるだけあって、ちゃんとおいしくなったのでよかった。
深夜にキャベツやタマネギを刻んだりきゅうりを薄く切ったりするのがわりと好きで会社に行っていた頃はよくやった。それは一人暮らしをして初めて気づいたことで今でもたまにやる。でも電熱台と小さなシンクに挟まれた申し訳程度のスペースではやりづらくてしかたがなく、よく実家の台所の広さが恋しくなる。別にスローライフ志向とかではないけど(わざわざ言わなくても人生の28年はスローライフだ)、あの銀色の台がピカピカに光っているのを見ているだけで嬉しくなる。本当ならあの上には調味料もあまり置きたくない。野菜を刻むのはそういうピカピカで広い台の上でやるのが一番いい。それはウィンドウズでいうレジストリのクリーンアップとかデフラグ作業みたいな物なのかもしれない。ウィンドウじゃないからよくわからないけど、言葉の感じでなんとなく。

台所の話を書くといつもよしもとばななの『キッチン』を思い出す。『哀しい予感』とかああいう時代の小説が好きだったから何かしらあるんだろう。乙女系エッセイにも台所の話はよく出てくるけれど、私の文章にああいう可憐さはたぶんない。

普段ならそんな風にして野菜は新鮮なうちに刻む余裕があるのに、大きい仕事が入るとそれにしか意識が向けられなくなってしまう。仕事をしながら音楽を聴けないしあんなに好きなお笑い番組ですら軒並み録り逃してしまうし、私の頭はマルチタスクにはできていない。女の人は本来マルチタスク構造らしいのにふしぎ。

でもよく考えたら昔、勉強を一番していた頃もそうだった。中学時代は自由な時間が全然なかったというのもあるけど、勉強ばかりで手伝いもおしゃれも女の子らしいことは何一つ並行してやれていなかった。今はさすがに外見に関してはそれなりにするようになったけど、一つにしか意識が向かないから誰かに言ってもらわないと意識を並行させられないのかもしれない。母親が昔から、そして今でも女の子らしくと私に言い聞かせる理由も今となっては少しわかる。