オルガンと祈り@聖イグナチオ教会 主聖堂

夕方に突然お誘いをもらい、四ッ谷の聖イグナチオ教会で行われるというクリスマスの催しへ。今回の「オルガンと祈り」と題されたコンサートもオルガン演奏と聖歌の合唱、聖書の朗読とお祝いムード満開の内容だった。
到着した時にはフランク「パストラーレ op.19」の演奏中。聖歌に明るくない私はこの曲がどういう存在かを知らなかったけれど、あの天井の高いドーム状の聖堂中に広がるパイプオルガンの音色に少し触れただけでなんとも言えない気持ちになった。重みがありながらも透明なあの音には何かの魔法があるんじゃないかと思うくらいに。

<内容>
グレゴリオ聖歌「天よ、露をしたたらせ」
聖火「ひさしくまちにし」斉唱(1、2節)
フランク「パストラーレ op.19」
聖書朗読(イザヤ9:1-2、5)
ルベーグ「マリア様の愛のために」
聖書朗読(ルカ2:1、3-7)
ダカン「イエス様がお生まれになったとき」
聖書朗読(ルカ2:8-11、13-15)
メシアン「主の降臨」より“羊飼いたち”
聖歌「まきびと」斉唱(1、2節)
共同祈願
主の祈り
メシアン「主の降臨」より“我らのうちなる神“
黙想
聖歌「しずけさ」斉唱

曲はイエス誕生のストーリーに合わせて選ばれており、生まれる直前は柔らかく静かな曲、生まれた時は祝福感いっぱいの軽快で明るい曲、と情景が感じれるようで面白い。でもイエスが生まれてからの曲にメシアンが選ばれていたのにはびっくりした。クラシックでもアヴァンギャルドな作曲家(クセナキスと同じくらい)のイメージがあっただけに。実際に聴くとやはり不協和音ギリギリの旋律が中心で、キリスト教でもこういうのはアリなんだ、と不思議な感じがした。友人はもう少しオーソドックスな曲が聴きたかったと話していたけれど、私はむしろ「我らのうちなる神」での衝動的かつドラマチックな旋律がすごくよく思えた。人の内側に潜在する力の様子だけでなく、どことなく現代性が感じられるのはメシアンだからこそという気がしたから。まあ、元々現代音楽が好きだからかも‥‥。
聴けなかったグレゴリオ聖歌「天よ、露をしたたらせ」が、聖歌のクラシックだけあって素晴らしかったようで残念。でもあの外界と切り離された厳かさ、普段とはまったく違う空間に自分がいて、歌や音で浄化される感覚を得たことはとてもいい経験だった。
コンサートが終わってから、大聖堂の中を見学しつつ友人にいろいろとキリスト教の仕組みと一緒に教えてもらう。元々こぢんまりとしたイメージで行ったら立派できれいな建物で驚いた。1998年に改築されたドーム型のホールは広々とした印象だった(人のブログで「教会には一般的な柱がない」と書いてあるのを見て、なるほどと思った)。ベージュを基調にした波打った煉瓦状の壁、高い天井。この天井は昼は光がいっぱいに差し込む設計になっているらしい。イエス像の右に葡萄、左に麦、そのほか雷と雨、羊や鳩、キリスト教のモチーフでできた細長いステンドグラスが上から下へ分割するように、ドームを取り巻く形で埋め込まれていた。上からだけでなくドームを縦に分割するような光も入るのだと思う。主聖堂の脇に作られた平静用の小部屋も、上からの光が採れない代わりに下側にブロックガラスが取り付けられ、さらに水の乱反射を狙うように外に池があり、採光にすごく気を遣った造りであることがわかった。
この数年クリスマスはM-1と仕事だしキラキラ感だけを摂取する日という認識だけど、ひさしぶりにそれらしい催しに参加した気がする。クリスマスといえばキリスト教最大の記念日。建物も催しもよかったけれど、静かに願う人々の光景にはなぜかホッとするものがある。それはドームにいた人もそうだしあるポイントポイントで無意識に十字を切る友人にも。今アメリカでは不況で教会に行く人がすごく増えているらしくて、その気持ちはなんとなくわかる気がする。仏教徒の私でも(それほど熱心ではないけど)こんな風に生活に根付く祈りというのはいいものだなと思った。
聖イグナチオ教会 http://www.ignatius.gr.jp/index_j.html