二つの故郷と二冊の本

「昔を思い出す」ということをよくする。
言葉にすると後ろむきなふうだけれど、そんなことは別にない。基本的にものをぼんやりと考えるのが好きなのだ。ただその内容が、昔のことであるというだけの話。
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わたしには故郷と呼べる場所がふたつある、滋賀県秋田県。生まれたのと、大きくなってからの大半を過ごしたのは滋賀だけれども、子ども時代の思い出は大半が秋田のことだ。つい最近立て続けに、(おそらくこれといって特徴がないと思われてきた)ふたつの愛すべき故郷についての本を見つけた。

1. 海がない代わりに湖のあるところ
川内倫子Cui Cui
彼女をずっと追っているわけではない。ただ同じ県の生まれだということで覚えている写真家、もちろん接点もない。でも本屋で眺めたその写真集には、わたしの家にも感じられるなにがしか、が収められている。

おじいさんやおばあさんとは一緒に暮らしたことがない。その優しさや大きさをあまりしらない。だから、たぶんこの本の主旨からは離れた部分に惹かれているのだと思う。
中心からずれたところにある懐かしさ。日めくりの地名でどの辺りのことなのかわかる土地の感覚、実家とよく似た仏壇間、当たり前のようにあった集まりの光景。そういうひとつひとつの写真がわたしの記憶にとても近い。

2. 季節はずれの雪のはなし
堀井和子『北東北のシンプルを探しに行く』
「記憶は往々にして美化されるものだから、それにしがみつくことはよいことではない」
そういう言葉で表される忠告、それは果たして本当なのかと思う。

弟から「犬ッコまつりに行ってきました」というメールが届く。
秋田では集落ごとにかまくらを作って雪まつりをする。近く(車で20分ほど)の湯沢市では2月にもう少し大きな雪まつりが開かれ、それを犬ッコまつりと言う。なくならずに続いている。一番の思い出だった屋台の飴細工はいつの間にか法律で禁止されたのだそうだ。そんなつまらない法律なんかなくなってしまえばいい。

秋田の思い出は雪が降っているものが多い。ドカジャンに黒い長靴で歩いていく父の姿、吹きだまりの上で風が作るうずまき模様、吹雪の中で食べるお弁当、道の真ん中から沸いているお湯。どれも他愛のないこと。
あれからもう20年が経った。
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スローライフ系の雑誌に載っている人々は、東北に注目をしているらしい。いじわるな見方をすれば、この本もいかにもな感じと括ってしまうこともできるのだけれども。

彼女の旦那さんと両親は大館の人だそう。だから、きっと原体験に基づいたものだろう。少なくとも上っ面だけをすくいとったものではないはず。まだ読んでいないわたしが、ここで何を書こうと空想でしかないのだけど。
でもこの本は賞賛に値するものだと思った。見慣れた単語がたくさんあるという懐かしさ、それだけで十分。