夏の読書

柴崎友香3連発。河出文庫のデザインが最近変わったらしく、実用系文庫のような安っぽいツルツルのカバーになっていた。本屋でさっぱり気付かなかった。


青空感傷ツアー (河出文庫)

青空感傷ツアー (河出文庫)

平凡でこれといって取り柄もなく退職したばかりで無職、でもメンクイで顔の綺麗な男子に弱い26歳女子の芽衣。大学時代に知り合ったモデルのような年下の友人音生から突然かかってきた電話をきっかけに、東京から大阪、トルコ、徳島、沖縄、そしてまたここではないどこかへ。振り回されるようにして続く旅での日々が描かれる。
普通の子が小悪魔のような子に振り回される話は他にもあったのだが思い出せない。有吉佐和子の『芝桜』だったか、吉屋信子の『花物語』か。なんとはなしに少女小説の趣があった。

徳島の知り合いの旅館の若女将と3人で呑んでいた時、「音生ちゃんみたいに容姿が綺麗なら多少わがままを言ったって通るけど、芽衣ちゃんは容姿も平凡だしこれといって取り柄もないのに仕事をやめるし、理想ばかり追って顔のいい人ばかりを気にかけているし、それじゃ行かず後家になるよ」というような説教を受けるシーンがある。
酒のせいとはいえ、知り合って間もない人間から手厳しい叱責を受けた上、音生は自分のことは棚に上げて追い打ちをかけるような発言をする。

彼女は本当にへこんで友達の永井くんの部屋に逃げていくのだけど、またここでも芽衣の気持ちがよくわかるのだ。この時、叱責をした二人にわかってないなあ、って言いたくなる。「自分は平凡なのに顔ばかり」じゃなくて、自分が平凡だから綺麗なものを持っている人が好きなのだ。
自分にないものに憧れて、自分にないものをいつまでも眺めていたいと思うのは、それを持っている人には一生わからない気持ちだと思う。そこにはいつも誰かの隣にいて、いつもなんとなくおまけのような対応をされる時のうっすらとした悲しさとか、複雑に入り交じった一言では言い表せないような思いが沈んでいるのだ。
ただ芽衣の場合はそれがコンプレックスを元にした自己卑下の形で表れるのではなく、素直に純粋に美しいものが好き、憧れる、そういう形で描かれているから、読んでいてもそこまで切ない気持ちにはならないのかもしれない。

日常を描く柴崎作品には珍しく破天荒なキャラクターが出てきてちょっと疲れるけれど、青い海と青い空の中で終わるラストシーンはなんだか美しかった。


次の町まで、きみはどんな歌をうたうの? (河出文庫)

次の町まで、きみはどんな歌をうたうの? (河出文庫)

彼女の作品の登場人物は本当にちょっとしたことで人を好きになったり告白したり、そういうのが当たり前に話が進んでいく。これくらいの年齢ってみんなこんな感じやったんかなあ‥‥? と自分の記憶を辿ってみたが結局何もわからなくてあきらめた。

表題作で描かれるのは、23,4歳くらいの同級生仲間4人が東京を目指す珍ドライブ中の光景、心情、その他もろもろ。
才能はあるのにプラプラして好き放題の主人公の望とその友人恵太、急に望が好きになってしまう恵太の彼女ルリちゃん、望の後輩コロ助、『きょうのできごと』にちょっと似た手触りがある。ただ私には年齢がちょっと離れすぎてしまっていて、(しかもこういう経験があまりなかったから)常に人の日記を横から「読んでいる」という感覚が抜けなかった。

もう一つの短編が、失恋のショックで眠くなって起きられなくなってしまった女の子の話「エブリバディ・ラブズ・サンシャイン」。これもどこかで読んだような‥‥初期の金井美恵子とか楠本まきの漫画にありそうな雰囲気のモチーフ。どちらかと言えばこちらの方が読んでいて面白かった。机の上で眠りに入る時の雰囲気とか感覚とか、どうしてこの人はこんなにうまく表現できるのかなあと思う。研究室で眠ってしまう彼女を眺める男の子であるカオルちゃんのマフラーが、いつもかわいくて鮮やかであること。それが読んでいる私の記憶にも彼の印象をはっきり際だたせて印象づけていくのだ。こういう人をじーっと観察するような表現が多いのもなんとなく女子(女性ではない)っぽいなあと思って読んだ。

この2作品は特にミュージシャンの描写が多かった。なのに、それがホントにいろんな部分で自分の好きな物に近くてびっくりする。「次の〜」のコロ助は大学の研究室で金属の研究をしている打ち込みテクノオタクであり、ルリちゃんはYO LA TENGOが好きだったりする。「エブリバディ〜」は最初VELVET UNDERGROUNDの「Who Loves The Sun」から来ているのかなと思っていたが、GOLDIEとDAVID BOWIEのDVD作品だった。主人公の女の子が誘われるライブは心斎橋クアトロでのSPIRITUALIZEDのライブだったり、ベイサイドジェニーでのATARI TEENAGE RIOTのオールナイトイベントだったりする。たぶん年代からいって私もその場にいたなあと、本当に自分の実体験として、文章に描かれた空気を思い出すことができる。

まあ、これは単純に個人的な趣味思考がハマっていて嬉しいというだけなのだけど、本を読む理由がそんなところにあったっていいんじゃないかという話。


フルタイムライフ

フルタイムライフ

ずっと読みたいと思っていた作品。柴崎さんの本が好きな理由のひとつに、出てくる背景や物、バンドがすべて実在していることがある。私が本に感情移入する時の第一の要素を、この作品はバッチリ満たしてくれている。
主人公は私の歩いた道と同じ道を歩いている。だからこそ、この主人公が他人として私の隣にいたかもしれないという思いと、その主人公が私で「もしOLさんをしていたら‥‥」というもう一つの人生を想像させてくれるのだ。一つの中で二つの感覚が交差する感覚を味わうことができる。

心斎橋の御堂筋に面するビルにあるパッケージ会社、その広報デザイン室に就職した芸大出の主人公の日常ですべてが語られる。人の名前を覚えることから電話を回すこと、すべてが初めてで慣れない日々の気持ちや、いくつかの作業がじわじわと重なってきて焦りが出てくる時の心情、今まであまり接することのなかった世代に対する思い、その他会社での出来事。仕事終わりと夜のクラブで自分の切り替わる瞬間、仕事時間に仕事の恰好で知り合いに会う時の変な照れくささ‥‥などなど、暇な時も楽しい時も悲しい時も辛い時も、すべての心情が本当に丹念に丹念に描かれている。
普通に就職する人が少ない芸大での同級生、その友人(デザインユニットの片割れ、古着屋でバイト中)に「OLも結構面白いで。コピー取ったりお茶くみしたりとかをほんまにするねん」と近況報告をする主人公の気持ち。私はちゃんとOLをしたことがないけれど、多分会社にいたらこんな風に言ってるんだと思うし、なぜかこの彼女の心情がよくわかる。人から事務作業にすごく向いてると言われることが多いからかもしれない。

学校と会社の違いは接する人々の年齢の幅広さだ。話す事が見つからなくても一緒には仕事をしていかなくてはならない。だから例えば、主人公が図らずも偉いさんと二人で電車に乗らなければならなくなった時の会話の続かない気まずさはとてもよくわかるし、自分の生きてきた年数をずっとひとつの会社で働いてきた人として時間軸を当てはめて考えることも、なんとなくその通り、だと思える。

柴崎友香の話が20代の女子に人気があるのはわかるような気がする。多分、その年代ならみんな思っていることなのだ。本当は私よりもう3つ4つ下の年代に向けて書かれたものなのだろうけれど、女子として育ってきた人なら思うところがたくさんあると思う。スチャダラが「ヒマがダメか、悪いのか」ってずいぶん昔に歌っていたけど、平凡で変化のない日常だからこそ何でもない思いが際だってくる。
だいたい、私たちの日常には毎日そんな大層なことが起こるわけじゃない。本当の普通の日々をつまらなくないように書き分け読ませる力が彼女の文にはあるのだと思う。