兎追いしかの山


朝起きてどうしても行きたくなって秋田に行った。
滋賀で生まれ3〜10歳の8年間を秋田で過ごした。幼い頃の8年なので第2の故郷のようなものだが、実家はもちろん今住む東京からですらその場所はとても遠い。湯沢からさらに車で15分ほど、山形寄りの小さな町。今でこそ新幹線が通ったが(それでも東京から5時間半)かつては関西から寝台列車で12時間かけて移動するような田舎だったので、いつかはと思っているうちに20年以上も経ってしまった。
圧倒的に新庄からの方が近いのでそうするつもりが、駅で「新庄からは本数が本当に少ないのでこまちの方が」と強く薦められたので盛岡〜田沢湖〜大曲〜湯沢〜羽後町という入り方になった。あとからよく見たら確かに新庄発の奥羽本線は1日に7本しかなかった。そりゃあ駅員さんも「大曲からの方が安心できますね」と言うなと思う。
母親経由でお菓子屋さんをやっている知人のお家に泊めていただくことになった。店先で経緯などを話していると小学生時代の友人が偶然やってくる、というあり得ないことも何度か起こりいたく驚く。
一番やりたかったのは、今はもうない住んでいた家の跡地を確認し、自分が小さい頃過ごした土地を確認すること。だから「(盆踊りでも犬ッコでもない)こんな時期にどうして突然来たの?」と言われると説明するのが大変だった。
翌日は町を歩いて写真に撮る(→ http://www.flickr.com/photos/sanae/)。昔賑やかだと思っていた商店街はもうほとんどやっていない。同級生もお店をやっていたお家の子が多かったけど、今は閉めてしまったり引っ越ししたりしているらしい。朽ちた家や焼けたまま放置された家もあって、曇りだったからかなのか余計に寂しく見える。でも小さい時にずっと見ていた材木工場は当時のままだったし、町中に植えられている針葉樹が大きいのもそのままだった。今ではなんでもない、1時間くらいあれば全部が回れる小さな町なのに、学校の校庭、川と山の縮尺は昔と同じように大きく感じて不思議。
まだ雪が残る鳥海山栗駒山系に囲まれた景色、建物や木々は関西にも東京にもない東北らしい佇まい。小さい頃毎日のように見ていたものは、今見るとどことなく寒い海外の国に似ている気もする。