苦しく、鈍く痛む

 「スイートリトルライズ」を見た。矢崎仁司監督のひさしぶりの作品。私にとって世界で一番好きな映画は16歳の時に見た、彼の「三月のライオン」で、 20年弱が過ぎようとする今でもそれは変わらない。矢崎さんがイギリス留学先で撮ったといえばワクワクして約4時間の初デジタル作品「花を摘む少女と虫を殺す少女」を八条のみなみ会館で見たし、何度も読み返した魚喃キリコの「ストロベリーショートケイクス」映像化を任されたと聞いては喜び勇んで東京のどこだったかに赴き見た。そして、ぽつりぽつりと上映される新作の間に出た「三月のライオン」のDVDを買って見ては、再再再再上映のうちの何度かも見た。台詞をそらで言えるほどではないけど、まあそこそこのファンとは言ってもいいと思う。

 新作は、仲睦まじく見えるのにお互いの心に孤独を隠した夫婦、瑠璃子中谷美紀)と聡(大森南朋)の小さな嘘と心を描いたもの。過去の原作なしのオリジナル作品だと、女の子を好きな女の子の話が2本(「風たちの午後」と「花を摘む〜」)、兄を好きな妹の話が1本(「三月のライオン」)だから、夫婦がテーマだと聞いた最初は珍しく普通の話じゃないか、と思った。でも見ていくうちにあの、口から心臓をつかみ出されるような重くて鈍い痛みと苦しさと死の匂いが感じられて、やっぱり矢崎さんの作品だ、と心はいっぱいいっぱいになりながらも安心した。
 色の薄い、真四角で冷たくてがらんとした部屋、白いタイル、生きていたものの死と花ごと庭に埋葬する場面、散る薔薇の花びら。今作は、「三月のライオン」や「花を摘む〜」など過去作を思い起こさせるモチーフがいつになく多かったのも、そんなふうに感じた理由なのかもしれない。特に、死んだ犬の飼い主のおばあさんが瑠璃子に「2人でも1人でも孤独だ」と話す場面は、「三月のライオン」でおじいさんの髪を切ってあげていたおばあさんが毒の入った青い小瓶を見せて「片方が死んだらすぐにこれを飲もうと約束した」とアイスに話す場面に重なる。同じ所から生まれている思いが、方法も設定も違えた形で20年後も変わらず描かれていると思うと何とも言えない気持ちになる。

 レイトで旧作の「風たちの午後」。ある女の子に恋い焦がれ、自分を見てもらいたいがためにやったことで、結局は自分を死に追い込んでしまう女の子の話。最新作の後に見た30年前の処女作は、機材や撮影技術こそ学生のものだけれど、彼が描きたいものも好きなモチーフも当時から一貫して変わらないということを教えてくれた。
 矢崎さんの描く女の子は、あの一文「愛が動機ならやってはいけないことなんて何ひとつない」と思うからこそ強く崇高であり、同じだけ痛々しくて悲しい。その強さが生まれる理由はきっと女の子にしかわからなくて、痛々しく苦々しく思う理由もまた女の子にしかわからないと思う。

スイートリトルライズ http://www.cinemacafe.net/official/sweet-little-lies/pc.html
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