コピ・ルアック
コーヒーを美味しくしてくれる呪文だよ、と言って男の人がかもめ食堂でコーヒーを入れている。はじめて、男の人がコーヒーを入れる姿は恰好いいものだと思った。
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銀座の街はとても人が多くて、映画一本見るのにも骨が折れる。わたしの3つ前から案内されたのは立見という名の2階床だった。でも、お金のない学生席が実は意外といい場所でオペラを見られるように、2階席の端っこから見るスクリーンはきっちりオーシャンビュー。これならいいかもと、この時ばかりは座り込み(普段は地べたに座る子は好きではない)膝を抱えてスクリーンに目を向ける。
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ずっと見たかった「かもめ食堂」は、実際に見てもやっぱり好きな作品だった。フィンランドで食堂をやっている女性が1人と紛れ込むようにしてフィンランドにやってきた女性が2人、そして食堂に来る人との毎日。話はそれだけ。恋愛(おばさんのが少しだけ)もアクション(コソ泥退治が少しだけ)も恰好いいアイドル男子(日本のアニメ好きフィンランド人男子が1人だけ)もほとんど出てこない話だから、つまらないデザイン映画だと思う人もたくさんいるだろう。でも今私が見たかったのは、こんなふうにぼんやりとした時間軸の、ただただきれいで穏やかな空気がある作品だったのだ。
フィンランドの青い空と深い緑の森、カラフルな市場、港とかもめ。おいしそうなおにぎりに分厚い身の焼き鮭、甘いシナモンロール、そしてコーヒーを入れるシーン。実際、私の心を和ませてくれる要素(主に目とおなかと旅心に訴えかける)は、こんなふうにたくさんあった。まあ、一番ぐっときたのは、「つじつまが合わないことはすべて「魔法」という言葉で片づける」。そんな夢のような理不尽さだったのだけれども。
原作よりも色があってカラフル(映像があるのだから当たり前)。でも、エピソードの描き方は、文字で見るより穏やかに伝わってくる気がした。文章ではひとつひとつを描かなければ伝わらないからイヤでもすべてのディテールを知る。でも、映画ではそのディテールのどれかを(おそらくすべてきちんと表現されているのだろうが)私が見落としているのだと思う。自分が取り込むものには容量があって、それを超えるとしんどかったりするから、いい具合に必要なものと言葉だけが目に入っているということなのかな、とか。
うまく言えないけど。
なんでもないシーンや言葉でじんわり来てしまう性質の私。またなんでもない映画にちょっぴりウルリと来てしまったことは、ここだけの話だ。
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アラビアとイッタラの器、アアルトの花瓶、マリメッコのワンピースにキッチングッズ、コムデギャルソンプレイの水着、ブランドひとつひとつがかわいい。それ以外のものも間違いのないかわいさ。そんな思いもラストのスタッフクレジットを見て納得した、あの堀越絹衣さんのスタイリングだったから。しかも、かわいいと思っていたつば広のキャプリーヌは帽子作家の糸山弓子さんのもの。これがかわいくなくて何をかわいいというのか、というくらいの。
そういえばこんな感じ、ひとつひとつのものにかわいいと思える作品が前にもあった‥‥と考えたら、大谷健太郎監督の「アベック・モン・マリ」だった。その時も色合いやデザインにずいぶんワクワクしたから、またそんな想いができて嬉しかった。
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時間があって、ぼんやりしたくて、おいしそうなごはんの光景を見たいならばちょっと気にかけてみればいい。ゆるい感じで。気負って見に行くなんて一番似合わない映画だと思うから。
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