言葉とか。
東京に来てから、言葉についてよく考えるようになった。そういうと大層なことに聞こえるけれど、単純に自分が標準語を話さないのはなぜか? とか、関西弁のイントネーションの違いを指摘された、とか、地方出身なのにみなどうしてそんなにきれいな標準語が話せるのか? とか、ちょっとしたことや疑問がたくさん存在するからにすぎない。
侵食されていく関西弁について書いた文を二つ読んだ。どちらも関西出身の著者で、長く東京に住まいながら関西弁を話し続けてきた結果、関西弁とも標準語とも言えないどっちつかずのものになってしまった、という話。確かに自分自身のことを思えばそうで、知らず知らずのうちに関西人の純度が薄まっているようで、なんだか寂しい気持ちになったりする。普段標準語を使う人の関西弁はいつまでも完璧なままの気がするから余計に。
初対面の人から突然「関西のどこの人ですか」と聞かれた。「大阪ですか」という問いではなかったので、思わず「どうしてですか」と聞くと、「関西のかただけど大阪じゃないと思ったので‥‥ちょっと柔らかいから」と言う。東京でそういう風に言われることはあまりなかったので、イントネーションの違いがはっきりとわかるほど出ていたのかと、自分のことながら驚く。
id:chimちゃんの日記で「大阪に来て“ごとび”という表現を知った」と書いてあった。そういえば道が混んでいる時は、問屋や銀行関係の人じゃなくても「今日はごとび(5と10のつく日。給料日とか支払い・卸などのシメ関係で道が混む)やから」と言っていたなあと思った。たしかに東京ではまったく聞かない。
アゴタ・クリストフ『文盲』(→Amazon.co.jp)を読む。短い文の中に、亡命によって覚えたいとも思わない言葉を覚えざるを得なかった辛さが押し込められている。淡々とした文章には湿っぽさがなくて、それが逆に諦念を浮かび上がらせている感じ。ハンガリーの言葉を捨ててフランス語を受け入れはしたけれど、母国語とする人間のようには何十年かかっても書けないだろう、という言葉がとても悲しい。
私は日本語しか話せないし読み書きもできないけれど、方言のことを思う時、アゴタの言葉についての想いがすこしだけわかるような気がした。
- 作者: アゴタ・クリストフ,堀茂樹
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